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長崎地方裁判所 昭和60年(人)3号 判決

主文

一  本件請求を棄却する。

二  手続費用中鑑定に要した費用はこれを二分し、その一を請求者らの、その一を拘束者らの各負担とし、その余は請求者らの負担とする。

事実及び理由

一  請求者らは、「被拘束者を釈放する。手続費用は拘束者らの負担とする。」との判決を求め、請求の原因として別紙一のとおり述べ、証拠として甲第一ないし第八号証を提出し、鑑定人中根允文による鑑定の結果を援用した。

拘束者らは、主文第一項と同旨の判決を求め、別紙二のとおり主張し、甲号各証の成立はすべて認める旨述べたうえ、自らも証拠として右鑑定の結果を援用した。

二  よつて検討するに、前掲各証拠及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  請求者らは夫婦であり、被拘束者は両名の第二子(長男、第一子は長女薫子)として昭和四九年五月二九日出生したものであるが、請求者らの家計上の理由から母親である請求者悦子が看護婦の仕事を辞めるわけにいかなかつたため、生後間もない被拘束者を請求者達雄の実弟(異母弟)である拘束者豊信とその妻である拘束者サトノに預けた。

2  拘束者ら夫婦は、拘束者サトノが昭和四八年六月ころ流産して以来実子はなく、預かつた被拘束者の養育に力を注ぎ、これを育て上げた。

3  昭和五一年、請求者らは被拘束者の返還引渡を拘束者らに求めたが、拘束者らはあと一年育てたいとの意向を表明し、請求者らはやむなくこれに応じた。次いで、昭和五三年三月、請求者らは被拘束者を保育園に入園させる手続を取つたうえでこれを引き取りにおもむき、拘束者らはいつたんは請求者らに被拘束者を戻すことを承諾したものの、請求者らが被拘束者を伴つて長崎空港から出発しようとしたとき、「子供が誘拐された」と称して警察官を同道し、被拘束者を連れ帰つてしまつた。

4  この事件を契機にして請求者らと拘束者らとの感情的対立が深まり、以後請求者らは親戚らの仲介を頼んだりして拘束者らと交渉を繰り返し、拘束者らは、その度に「学齢の一年前まで。」、「就学までには。」などど約束を反復し、誓約書さえ書いたことがあるにも係わらず、結局これに応じることなく、請求者らは万策尽きて昭和五六年長崎地方裁判所佐世保支部に被拘束者の引渡等を求める訴訟を提起し、第一、二審、上告審とも勝訴し、この確定判決による強制執行申立にまで至つたが、昭和六〇年一月、円満解決のため佐世保簡易裁判所に即決和解の申立をなし、同月九日拘束者らとの間で、「同年三月二六日限り被拘束者を引き渡す。右引渡をしないときは、拘束者らは請求者らに対し一日一万円の割合による金員を支払う。」旨の和解が成立した。しかし、結局拘束者らは任意の引渡に応じることなく、請求者らが申し立てた右即決和解に基づく強制執行の停止を得たうえ、請求異議訴訟を同支部に提起して争う構えを示し、現在に至つている。

5  現在被拘束者は小学校六年生であり、成績は優秀であつて意欲に富み、明朗であるとの評価を受けているが、他方、感情の起伏が激しく、自己中心的で自分勝手な行動が目立つ面もあることが指摘されている。

被拘束者は、これを溺愛し服従的な対応をしがちな拘束者らのもとで一応安定し、これから離れ難く感じている反面で、拘束者らが請求者らとの対立が深まる中で、被拘束者が自分たちの手を放れることを恐れる余り、常日頃請求者らに対する悪感情をあからさまにする言動を取つてきたことに強く影響され、請求者らに対し、「子を捨てて家を買つた。」などと強く反発敵視し、連れ戻されることを極度に恐れている。

請求者らは、苦しい時期に助けてくれた拘束者らに対する感謝の念を失つてはいないが、その後の引き取りを巡る再々にわたる約束違反のため拘束者らに対して強い不信感を抱いており、現在被拘束者が自分たちにかくも激しい攻撃性を示していることに深刻な打撃を受けている。

三  よつて案ずるに、

1  家計上の都合というだけで安易に実子を他に預託した軽率さは難ずるべきところがないとはいえないものの、請求者らが、現在これを真摯に反省して実の親としての義務を果たすべく、一〇年以上も拘束者らにより接触を妨害されてきたにも係わらず、実親としての変わらぬ愛情を抱き続け、子供を引き取り共に暮らしたいという自然な願望の早急な実現を心から待ち望んでいることは到底これを否定することはできず、もとより、拘束者らに対し、法律上正当な親権者として被拘束者の引き取り監護を要求する権利を有することは明らかである。

2  他方、法的には何ら根拠のない事実上の監護者にすぎないとはいえ、生後間もないころから被拘束者を実子のようにして慈しみ育て上げた拘束者らが、自分たちこそ被拘束者を理解し実親も及ばぬ愛情を抱いていると自負し、それゆえ被拘束者との別離を耐え難く感じていることもまた十分理解することができる。

しかし、拘束者らが、何時かは実親に返さなければならない預かり子であることを承知しながら自己の立場を忘れ、被拘束者に対する愛情に押し流されるままに、請求者らに戻す約束を再三にわたつて反故にし、結果として被拘束者が何らの戸惑いもなく自然に請求者らのもとに返る時期を失しさせてしまつたことは拘束者らの重大な落度といわざるをえない。

また、拘束者らが、被拘束者の気持を自分らに引き止めたい一心から、その将来の人格形成に及ぼすことあるべき有害な影響に対する配慮を欠いて、請求者らの真実の姿、心情を歪めて被拘束者に伝え続け、これに対する不信、恐怖、憎悪の感情をむしろ煽つてきたことが、現在の被拘束者の請求者らに対する異常な反発と攻撃的な対応の基礎となつていることは否定できず、既にこれが、感情の起伏が激しく、自己中心的であるなど、被拘束者の性格上の好もしからざる傾向となつて固定化する兆しがあるのみならず、他の特定の人間に対する極端な憎悪と反感を抱き続けることは成長期にある少年の心を必然的に歪ませ、蝕む病巣となり、ことにそれが実親に向けられたものであるときは、極めて複雑かつ激烈な心理的葛藤を不断に強いる結果となり、被拘束者の優秀な素質の発展と安定した人格的発達を阻害し、本来ならば安らかで実り多かるべきその人生を狂わせ、予測を越えた最悪の方向へと導くおそれさえあるといつても過言ではない。それだけではなく、今後理解力を身につけ、自己の引き取りを巡る争いの実相を知るにつれて、被拘束者の憎しみの念はおそらく実親だけでなく、明確に意識されるかどうかは別として、養親である拘束者らにも向けられる可能性があり、その場合の被拘束者に生ずる愛情と憎しみの相反する感情がいかに被拘束者の心を引き裂くことになるかは想像するに難くないことである。

3  以上のとおり、現在の当事者間の無益で犠牲の多い争いの原因の大部分は拘束者らにあるといわざるをえず、請求者らの本件請求は真に正当な契機に基づくものというべきである。

しかしながら、被拘束者は既に満一一歳一〇か月に達し、前叙のとおり小学校での成績も優秀で明朗であり意欲に富んでいるとの評価を受け、年齢相応の事理弁識能力に劣る点は見受けられず、自己の生活環境や心身の安定に重大な影響を及ぼすところの実親、養親のいずれの監護に服すべきかという事項についての判断については、十分意思能力を有していると認めるのが相当であるから、歪曲された事実を基礎としているとはいえ、一応は自己の判断と感情に基づいて拘束者らのもとに留まる意思を表明している以上、被拘束者が拘束者らによつて事実上監護養育されていることをもつて人身保護法の規定する「拘束」に該当するということはできない。

のみならず、現在の前叙のような心理状態のままで被拘束者を請求者らのもとに戻しても、既に年齢相応の判断力と行動力を備えた被拘束者を今後物理的に引き留めておく困難さは容易に想定できることであつて、仮に引き留めることができたとしても、相当な期間、被拘束者に極度の心身の不安定と精神的な苦痛をもたらすことは必定で、請求者らに対する反発からどのような不測の事態を招来するやも知れず、かえつて請求者らに対する憎悪を増幅し、まだ残されている意思疎通の道を永遠に閉ざしてしまうおそれが大きく、被拘束者の福祉にもそわない。

4  よつて、請求者らの本件請求はこれを棄却せざるをえず、人身保護法一六条一項、一七条を適用して、主文のとおり判決する。

四  なお付言するに、本件請求についての叙上の判断は拘束者らによる監護養育を法律上正当な者として是認するものでないことは言を待たず、拘束者らは自己の行為が被拘束者の真の幸福と安定にとつて如何に有害なものであつたかを真摯に自覚反省すべきである。

当裁判所は、拘束者ら及び請求者らの双方が今後、相互に対する非難の応酬に終止符を打ち、現時の感情に流されるままに任せて将来の見通しを放擲した無責任な子供の争奪劇を演じることを止め、ことここに至つたという不幸な現実を冷静に考え直し、これを踏まえたうえで、ただ被拘束者の将来のみを案じて、最も適切妥当な解決策を協力して模索し、これより先被拘束者が精神的肉体的に成長していく過程において、今までの自己を巡る深刻な対立の中で歪められてきた実親及び養親のありのままの姿を客観的に見極め、偏見に囚われない自主的な判断に基づいて自らと実親及び養親の関係を適切に整合させていく手助けをする努力を尽くすことを切に希望する。

別紙一

請求の原因

一 被拘束者は請求者ら夫婦の長男であり、拘束者吉川豊信は請求者吉川達雄の母違いの弟、拘束者吉川サトノはその妻である。

二 請求者ら夫婦は、被拘束者出生後三か月位の折、理由あつて拘束者ら夫婦に被拘束者の保育を依頼した。

その後請求者らは右委託を解除し、再三被拘束者の引渡を求めたが、拘束者らはその都度引渡の約束をしながら、請求者らを騙し騙しして引き延ばし、昭和五三年一一月一二日には、双方立会人を立て、誓約書を入れながら、またその後保育謝礼として金五〇万円の交付を受けながら、遂に引渡を履行しないため、請求者らは、昭和五六年八月、長崎地方裁判所佐世保支部に幼児引渡の訴を提起し、右訴はその後福岡高等裁判所、最高裁判所において審理され、いずれも請求者ら勝訴の判決があり、右判決は昭和五九年九月二八日上告棄却により確定した。

そこで請求者らは、同年一一月ころ、右判決の執行力ある正本に基づき強制執行(間接強制)の申立をした。

三 右強制執行事件は裁判所の和解勧告があり、昭和六〇年一月九日、即決和解により次のとおり成立した。

(1) 拘束者らは請求者らに対し、昭和六〇年三月二六日午後二時、拘束者ら方において被拘束者を引き渡す。

(2) 右引渡をしないときは、拘束者らは引渡済に至るまで一日一万円を請求者らに支払う。

請求者らは、右引渡期日に拘束者ら方に赴いたが、拘束者らは「玄関先で渡すという約束だから、ここから中には入るな。」と称し、玄関扉から先には一歩も入れず、かつ、「文敬は千葉に行くことを嫌がつている。」と称して請求者らを被拘束者に直接会わせることを頑強に拒否し、遂にその引渡を得ることができなかつた。

四 拘束者らは、被拘束者がその自由意思で請求者ら方に戻ることを拒否していると主張しているが、拘束者らは被拘束者の保育依頼を受けて現在まで既に一〇年以上も経過し、その間被拘束者をして拘束者らを「パパ、ママ」その後は「お父さん、お母さん」と呼ばせ、手元に置いて養育しており、請求者らに対する悪意、中傷、偏見を植えつけて監護していることが窺える。すなわち、

(1) 被拘束者は、生後間もなくから約一〇年以上もの間拘束者らの影響下に置かれている。

(2) その間請求者らが会いに行つても素直に会わせようとはせず、請求者らがなにもしていないのに、また被拘束者が別段怖がつてもいないのに、ことさらに被拘束者を強く抱き締めて「怖くない、怖くない。」、「助けてやる。」などと繰り返し、その雰囲気で却つて被拘束者が泣きだしたようなことも一度ではない。

(3) 日常の生活において、被拘束者に対する叱り言葉の中で「悪いことをすると千葉にやるぞ。」などと言つて叱つていた。

(4) 請求者らが送つた靴下、衣類などを、「悪いおじさんがくれた。」と言つて、被拘束者に鋏で切り裂かせていた。

(5) 甲第七号証は、前記即決和解事件に際し拘束者らから書証として提出されたものであるが、当時わずか一〇歳ほどの子供が、自発的にこのような手紙をNHKなどに書くとは考えられず、また、その内容においても、三歳当時のことなど拘束者らが教えなければ被拘束者には分かる筈のないことがらや請求者らに対する悪意が数多く記載され、被拘束者が自己の意思で自己の考えを記載したものとしては極めて不自然さと歪みを感じさせ、大人の作為が強く感じられる。

(6) それまで拘束者らや被拘束者と親しく交際していた親戚の吉川俊雄や高村弘六らも、被拘束者引渡の仲介に入つて以後は、拘束者ら方を訪問しても、被拘束者に閉め出されたうえ、「来るな、上がるな。」、「なぜ来たか、早く帰れ。」などと言われるようになり、これは拘束者らが被拘束者をそのように教育しているとしか考えられないと、同人らは供述している。

以上の事実状態の下においては、仮に被拘束者が一一歳の児童として平均以上の知能や判断力を有しているとしても、被拘束者自身が、養親と実親とのいずれの元で監護養育を受けるのが、自己の現在及び将来にとつて真の幸福につながるかという微妙で不確定的要素の多い問題について、その自由な意思に基づいて、的確に自己の考えを形成し、これを表示することができる能力を有しているとは、とうてい考えられない。

五 請求者らは被拘束者の親権者であり、被拘束者の監護権を有する。そして、拘束者らは請求者らの右親権を侵害して被拘束者を手元に留めている以上、それ自体で、その監護方法の当不当、またはそれが愛情に基づくものかどうかに係わりなく、人身保護法二条、同規則四条にいう「拘束」に該当する。

六 拘束者らは、前記訴訟以来、被拘束者は拘束者らの手元に置かれる方が幸福であると主張しているが、拘束者らはもともと監護権を有しないのであるから、被拘束者をどちらに監護させるのが幸福であるかの考慮は本来不要であるが、仮にそうでないとしても、請求者達雄は富士電機製造株式会社に勤務し、請求者悦子は千葉労災病院の看護婦で、両者合わせて平均月収約六〇万円である。請求者らの長女薫子は市原八幡高校に通学し、素直に成長しており、一家三人社会人としての常識を備え、近隣、知人との交際上の紛争もなく、円満平穏な家庭を営み、経済的にも余裕のある生活を送つている。

一方拘束者らの被拘束者に対する前記中傷、悪意、偏見などの躾を考えると、被拘束者の成長過程における歪んだ精神形成が憂慮され、これに鑑みれば、引渡後しばらくはいくばくかの波瀾が予想されるとしても、被拘束者の福祉幸福にとつては結局は請求者らの庇護の下に置くことがより適切というべきである。

七 以上の次第で、被拘束者は拘束者らによる不当違法な拘束状態の下にあつて、かつ、それが顕著な場合に該当するというべきである。

よつて、人身保護法二条、同規則四条により、請求の趣旨のとおりの判決を求める。

別紙二

一 被拘束者については、拘束者ら夫婦は生後六〇日目位から現在まで一一年間余にわたり育てており、被拘束者もすつかり家族の一員で、拘束者ら夫婦の子供として成長してきた。

被拘束者は実親と拘束者らとの間の引渡の紛争をよく知つており、既に一一歳に達して十分に判断力を備え、実親との関係をどうすべきか考えた末、自分はどうしても現在の親が本当の親と思うし、実親は自分を捨てて育てようとはしなかつたので本当の親とは思わない、死んでも今の家を離れたくないとの決意(自由意思)であり、昭和六〇年三月二六日の引き取りの際にも、請求者らが一緒に千葉へ行こうと全力で説得しても、「千葉へは帰らない。」と言つて部屋に鍵をかけてしまつたような状態である。

二 拘束者ら夫婦はやるべきことは全てやり、引渡の義務は尽くしたが、請求者らは子供の説得に失敗してしまい、結局被拘束者を連れ帰ることができなかつた。被拘束者が千葉へ帰らないのは被拘束者自身の自由意思によるものであり、拘束者らは被拘束者を拘束してはおず、請求の原因に記載されたところは事実に反する。即決和解調書作成のとき、簡易裁判所裁判官から、引渡に関し最大限の可能な行為を尽くせば良いのではないかと言われ、そういうことで和解調書が作成された。拘束者らは請求者らを自宅内へ入れ、事実上引渡を終えた状態となつた。しかし、子供を連れて行くのは請求者らの仕事であり、拘束者らが口をはさむ余地はなかつた。

現在の被拘束者は既に立派な少年の域に達しており、事の成り行きは知つており、以前にも請求者らやその他の人々が暴言や荒々しい態度で自宅に押し掛けてきたりしていたので、請求者らを非情に怖がつており、このような状態で被拘束者が請求者らの家に行くことは、どんな力をもつてしても不可能である。

三 被拘束者は「死んでも千葉へは行かない。」と言つており、拘束者らにはどうすることもできない。裁判所からどのように言われても、拘束者らには力が及ばないし、どうすることもできないので、宜しくお願い致します。

四 このたび、請求者らは、前記和解調書の違約金の条項により、拘束者豊信の勤務先の給与を差押えたが、拘束者らは違約はしておらず、請求者らが被拘束者の説得に失敗したために引き取りができなかつたものであり、違約金の請求は不当である。

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